INFO
基本情報
氏 名: 上野一哉<うえの かずや>
回卒(卒年): 19回卒(昭和47年卒)
職 業: 航空自衛官 / 防衛大学校戦略教育室長・教授
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PROFILE
卒後略歴
1977年 防衛大学校 管理学科(現公共政策学科)卒業
1983年 埼玉大学大学院 政策科学研究科(現 政策研究大学院大学)修士課程修了(政治学修士)。以降、航空自衛官(航空機整備幹 部)として築城基地、新田原基地等の隊長・群司令等の指揮官、防衛庁本庁・航空幕僚監部装備部、同人事教育部、統合幕僚会議議長副官(渉外担当)等を勤務
2006年 防衛大学校戦略教育室長・教授(現職)
COMMENT
コメント
ー 大濠人として思うこと
もし大濠に入っていなければ、今の自分はなかったはずだと心底から思います。今にして思えば、そこは自分を客観的に振り返り、明確な目標意識を持てた場所であったように思います。当時は学生運動華やかな時期で、私自身は、勉強もせずに乱暴極まる行為を繰り返していた大学生に、少なからぬ反感を覚えていました。防衛大を目指していた私は、明らかにこれらの学生とは対極にいたわけですが、幸運にもそのような私を叱咤激励してくださったのは、時の榮島校長でした。しばしば昼休みに呼ばれては防大進学について励まして頂いたことを今でも鮮明に思い起こすことができます。今でも年賀状を交歓させて頂いている今津先生。先生はこの春ご退職とお聞きし、更なるご活躍をお祈り致します。また、共通的・一般的にかなり厳しくも暖かいご指導を頂戴した当時の先生方を思い起こすたびに、大濠の3年間は、やはり今の自分を育ててくれたと確信します。
ー この一言
「人間万事塞翁が馬」、「色即是空、空即是色」。今でこそ自分の人生は意味あるものであったと言えますが、沈んだときは「ここまでか…」と悲観的になることも多かったものです。しかし必ずといってよいほど救いの手が差し伸べられる。一気呵成に上昇している時には喜びを感じつつも、後ろから追いかけられているようで心が落ち着かない。一体、本当の自分は何なのかと自問自答することが少なくなかったわけですが、ふと振り返ってみれば、これまでの浮き沈みなど心の持ちよう如何であったことを、恥ずかしながら自覚したものです。なかなか無の境地にはなれないものですが、それでもこの二つの言葉を知ったお蔭で、心は次第に緊張から解放されつつあるとも思えます。
ー 近況
母校の防衛大学校で戦略と戦略特論(ゼミ)を教えています。自分の息子と同じ年代の若者と接していると、我が家のことも脇に置いて、土日も研究室で学生のために仕事をしなければという責任感で毎日を過ごしています。現代社会では戦略という言葉がごく普通に多用されていますが、戦略の本質的な意味をどれほど理解して使っているかは疑わしいところがあるようです。我々自衛官や防大生は、日本の平和と安全を確保する存在ですから、殊のほか戦略についての正確な理解と戦略的思考力を備える必要があります。いつも考える授業に心がけているせいか、学生が私に積極的に向かってくる姿勢に喜びと期待感を強くしています。
ー 校友会
校友会活動は、儀仗隊とクラシック・ギター部の顧問として毎日学生の指導にあたっています。儀仗隊とは聞き慣れないでしょうが、外国の要人が訪日した時に儀式を執り行う部隊です。自衛隊と防大にしかない特殊な組織で、これを見れば絶対に感動ものです。一般的な現代の若者との比較は困難ですが、現代日本にあってもこのような若者がいるということを知っておいても損はないでしょう。
クラシック・ギター部では、学生とともに演奏活動をしています。朝から夕方まで忙しい生活の中で、ひとときであっても心休まる音楽に身を委ねる場を作れると言うことは、豊かな人間性を高める上で極めて大切なことです。
ー 在校生へ
現在、大濠卒の自衛官と防大生は全部で11名います。防大でも県人会は行われますが、福岡県人は人数が多すぎて、基本的に高校単位で行っています。中でも大濠、筑紫丘、福岡の各高校はその中心的な位置にいます。
防大の生活はもしかしたら大濠の生活とほとんど変わらないと思います。なぜなら、大濠の教育方針が防衛大と同様、やはり全人格的成長を目指し、指導陣も学生も真剣に生活しているからです。社会は、辛いことがあってもくじけず、さらに上を目指す、また、人を引っ張っていく、人とのつながりを大切にする等々、間違いなく人を大事にし、かつ調和的であり又はリードしてくれる人が現れることを待ち望んでいるのだと思います。人のために貢献する、日本の発展、そして世界の安定のために尽力する。この意気込みこそが日本の平和、安全、発展の鍵でしょう。是非、その鍵を握る人になってもらいたいと願っています。